草食獣の王様になれ

虚構と妄想で誰かを騙す。そんな人に俺はなりたい。

久しぶりに。

長いこと書いてなかったなぁ

色々あってずっと放置していました。

書く気にもなれず、何を書いたらいのかわからず

毎日巡る思いがありました。

 

5月の末に父がなくなりました。

俺はまだ20代。父はまだ50代で。

49日も終わって、もう初盆です。

親父が自分が死んだあとにしてほしいこと、したほうがいいこと、しないといけないことをメモしたノートのおかげでいろんな手続きもほぼ終わりました。

 

世の中では小林麻央さんがなくなって、追悼番組とかをやって

盛り上がっていましたが、一切見る気にもなれず、

人の死というものはこれほどまでにきっついもんなんだなと

本当に実感しました。

これは耐えきれないんじゃないかと、親父の遺影を見てないていました。

 

 

小細胞肺癌という病気でした。

親父の場合、見つかった段階ではステージ4の末期、進展型だったので

その生存確率は3年で5%程度といったところです。

病気が見つかってから3年ほど生きてくれたので、長生きしてくれたほうです。

最後のほうには脳に転移してしまい、ほかの病院に転院したりした際には

すごく長生きしていると驚かれるほどでした。

 

俺が頑張れって言うと、わかったと言い

想像以上の無理をして病院でも生きてくれていました。

あと何年生きるつもりか?と尋ねると指を3本立て

俺が3日か?と聞くと首をふり

3週間か?と聞くと首をふり

3年でも首をふり、声もほとんど出ないのに30年と答えてくれました。

 

最後は死にたいと言っていたので、俺がもう頑張らなくていいと言った

次の日くらいから意識もなくなり、せん妄にもなりました。

せん妄になって3日目位で、最後の瞬間がきました。

 

心残りなのは死ぬ瞬間に立ち会えなかったことです。

亡くなる日の夜に、

今日は泊まるか、一度帰って明日朝一で来るか、を迷って

一度帰って親父の遺書を見てたんです。

最後の瞬間にしてあげることとか、してほしかったこととか、

書いてるんじゃないかって不安になって。

そして家に帰宅して、泣きながら読んでると

(内容は本当に本当に俺のことを心配する父親の心情でした)

病院から電話が掛ってきて、急いで向かいましたが間に合わなかったです。

血の気が引いて白くなり、口も開いてラバー人形みたいになった親父がいました。

家族の中で一番早く着きましたが間に合わなかったです。

正直本当に悔しくてたまりません。人生で最大の失敗だと思ってます。

 

そのあとは色んな事が過ぎ去って今に至ります。

 

 

健康に気をつけて生きろよ。

家事もちゃんとしろよ。

残りの家族をよろしく頼むよ。

もう少し長く一緒にいて酒も飲みたかった。

って遺書を残していました。(読み返すたびに涙が止まらないですね!)

 

さ!

前向いて親父の分まで

頑張って生きていかないとな!

 

 

以上、ただの俺の日記でした。